大学生のとき、島田雅彦を敬愛していた僕とKは、ことあるごとに村上龍を莫迦にしていた。そういう時代でもあったのだ。島田と小林恭二と山田詠美の三人はどうやら飲み友達らしい、とか、小林が酒癖が悪くて最近そのせいでハブられているんじゃないか、…とか。文壇のゴッコ遊びに僕らも惹かれていたというわけだ。80年代の後半には、日曜日の夜に村上龍がパーソナリティを務めるトーク番組があって(いまみたいに経済系の番組ではなく)、それは忌野清志朗や坂本龍一や、ロッカーも作家もアーティストも出て来る贅沢な番組だったのだが、島田雅彦がゲストで出たときには、僕らはその対立する二者を見て、「島田はやっぱりカッコいい。このスカしたなんともいえないクールさ。それに比べて、何でも下世話な話にもっていく村上はなんと下卑て見えることか」などといっていたのだが、とんでもない、その数か月後には、僕は『コックサッカーブルース』を読んでガツンといかれ、『コインロッカー・ベイビーズ』を当時の恋人から勧められてさらに打ちのめされ、完全に転向してしまうのだった。
…滅多にはないことだけれども。
さて、何でこんな話をしたかというと、端的にいおう、最近になってB'zを聴き、…ちょっといいかな、と思ってしまったからだ。
↑なんかこう書いていても恥ずかしい。…。
中学校のとき、デペッシュモードとキュアーにはまり耽溺していた僕は、なかなか(この点においては)島田顔負けのスカした洋楽オタクだった。それが高校生になってブラスバンドをやり出した頃から、今度は真反対の邦楽、それもギターがギュンギュンいってるバンド(たとえば、それも遡ってルースターズだとか)にはまる。バービーボーイズなんかも聴いてはいたが、全然異なるジャンルの洋楽と日本のロックを遡って聞いていたので、まあそれなりに音楽にはウルサイのだ。
デペッシュモードに限らず、この時期からニューオーダーも、ダンスソサエティやBムービーや(みんなどこへいったんだろうか、…)も聴いてたので、日本の音楽シーンにTMネットワークが出てきたときも、正直「はぁ?」とか思っていて、なんやこのスカスカの音、とか、甘ったるいのぅ、とか思って唾棄していた。
B'zが出てきた当初も、TMのサポートギタリストがユニットを組んで、…みたいな触れ込みだたっと思う。
実際、ダンスミュージックというか、和製エレポップというか、だったよなぁ、当初は。
それからしばらくして、彼らはブルース色を出し始めた。このあたりは、熱烈なファンからしてみれば全然違う見解になるかも知れないが、まあ、そこは許してほしい。あくまで、少し距離をおいたところから見ている一般的な感想? 印象としておいてもらいたい。別に、この頃よくいわれていた「パクり」がどうだこうだ、とは思っていなかった。それをいいだせば、サザンなんかどうよ、って話だよ。大学時代にはハウス(これもどこへいったんだろう、…)が台頭していたが、(KLFとか)意図的なパクりも、戦略的なパクリも大差ない。よく、元バンドへの敬意やオリジナルへのトリビュート精神が、…みたいな話になるが、それよりも大切なのは、潔さと、くわえて聴いてくれるファンに対する敬意だろう。「こんなのどうせい知らないだろうから、パクっても判らないだろう」とファンを小馬鹿にしてるんなら許すわけにはいかないが、別にB’zがそうだとは思わないよ。
まあ、話は元に戻して、ただブルース色を出し始めた頃、本当に好きな人には申し訳ないが、ダサいな、とは思っていた。何がって、これは一時期のミスチルもそうだけれど、バンドはその過程において、まず「レコード会社にいわれて、そこそこ売れそうな曲を書く」→「少しずつ、自分の好きなカラーを出し、ファンを導いていく」→「セールスも安定し、ファン層も拡大したところで、自分が好きなものを全開でやってしまう」、ここで失敗するバンドもある、…という図式に、やっぱりB’zもはまり込んでいったか、…と思ったのだ。
当時からそう分析していたわけではないが、いま振り返ってみれば、そう考えていたと思う。
結局は和製○○じゃないか、とよくも悪くも思っているのだ。
歌謡曲がすぐ側にある文化のなかで、僕らは育ってきているのだ。聴かせる側も、聴く側も。もしかしたら、いまの若いリスナーは違うかもしれないが(オリジナルの、生粋の歌謡曲というものは、すでになくなっているように思う。多様化が進み、大衆音楽は死んだ、というわけだ)。でも、和製○○の音楽が当たり前だが溢れ、その遺伝子? を引き受けながら僕らは音楽に接しているわけだろう?
その点に自覚的か否か、が結構僕のなかでは大きいのだ。
「しょせん、和製であることから逃れられない。さて、そこでどういった戦略を立てるか」が観たいし、聴きたい。
B’zに話を戻す。
熱心なファンでない僕はこう思っている。
これまでの時期は大きく3つに分けられる。
第1期 エレポップ的時期(デビューから93年あたり、「裸足の女神」くらい)
第2期 松本氏のギターがブルース色を濃くだしている
第3期 いま、…あれ? 違うな。
ちょっと、待てよ。正直に告白すれば、この記事の結論として、「いまの、すなわち第3期のB’zが面白い」という結論を構想していたのだが、違うな。もう一度、変節があったように思う。
実は、先に書いたように、B’zのことをやや小馬鹿にしていた僕だが、これまでに数枚のシングルは購入している。最初に買ったのは、95年、「ねがい」のシングルだった。アレンジがよかった。いやよかった、なんてものじゃなかった。どちからといえばアンチであった僕に買わせた、それだけ、このシングルには何かがある。一応何かは判っていて、それは英国趣味だ。英国気取りといいかえてもいいだろう。ホーンも、ピアノも、上品でシニカル。歌詞とのマッチングもよい。
このとき、確かにB’zは変わっている。続けて2枚のシングルとアルバムをリリースしているが、(「love me,I love you」、「LOVE PHANTOM」。アルバムは『LOOSE』)確かにこのとき、変わっている。
そうはたと思い詰まって振り返ってみると、ブルース色が出ているのって、91年頃からなんだな、…。じゃあ、『RUN』でハードロック試してみて、手応えもセールスも大丈夫、とみて『7thブルース』へと続くんだろうか。だとしたら、ブルースという括りは誤りで、ハードロック、それもアメリカンという括りが正解なのかしら。
などと考えていると長くなってきたので、この項、事項へ続けます。
ただのファン(それも俄か)の戯言? そのとおり、それでいいやんか。
…滅多にはないことだけれども。
さて、何でこんな話をしたかというと、端的にいおう、最近になってB'zを聴き、…ちょっといいかな、と思ってしまったからだ。
↑なんかこう書いていても恥ずかしい。…。
中学校のとき、デペッシュモードとキュアーにはまり耽溺していた僕は、なかなか(この点においては)島田顔負けのスカした洋楽オタクだった。それが高校生になってブラスバンドをやり出した頃から、今度は真反対の邦楽、それもギターがギュンギュンいってるバンド(たとえば、それも遡ってルースターズだとか)にはまる。バービーボーイズなんかも聴いてはいたが、全然異なるジャンルの洋楽と日本のロックを遡って聞いていたので、まあそれなりに音楽にはウルサイのだ。
デペッシュモードに限らず、この時期からニューオーダーも、ダンスソサエティやBムービーや(みんなどこへいったんだろうか、…)も聴いてたので、日本の音楽シーンにTMネットワークが出てきたときも、正直「はぁ?」とか思っていて、なんやこのスカスカの音、とか、甘ったるいのぅ、とか思って唾棄していた。
B'zが出てきた当初も、TMのサポートギタリストがユニットを組んで、…みたいな触れ込みだたっと思う。
実際、ダンスミュージックというか、和製エレポップというか、だったよなぁ、当初は。
それからしばらくして、彼らはブルース色を出し始めた。このあたりは、熱烈なファンからしてみれば全然違う見解になるかも知れないが、まあ、そこは許してほしい。あくまで、少し距離をおいたところから見ている一般的な感想? 印象としておいてもらいたい。別に、この頃よくいわれていた「パクり」がどうだこうだ、とは思っていなかった。それをいいだせば、サザンなんかどうよ、って話だよ。大学時代にはハウス(これもどこへいったんだろう、…)が台頭していたが、(KLFとか)意図的なパクりも、戦略的なパクリも大差ない。よく、元バンドへの敬意やオリジナルへのトリビュート精神が、…みたいな話になるが、それよりも大切なのは、潔さと、くわえて聴いてくれるファンに対する敬意だろう。「こんなのどうせい知らないだろうから、パクっても判らないだろう」とファンを小馬鹿にしてるんなら許すわけにはいかないが、別にB’zがそうだとは思わないよ。
まあ、話は元に戻して、ただブルース色を出し始めた頃、本当に好きな人には申し訳ないが、ダサいな、とは思っていた。何がって、これは一時期のミスチルもそうだけれど、バンドはその過程において、まず「レコード会社にいわれて、そこそこ売れそうな曲を書く」→「少しずつ、自分の好きなカラーを出し、ファンを導いていく」→「セールスも安定し、ファン層も拡大したところで、自分が好きなものを全開でやってしまう」、ここで失敗するバンドもある、…という図式に、やっぱりB’zもはまり込んでいったか、…と思ったのだ。
当時からそう分析していたわけではないが、いま振り返ってみれば、そう考えていたと思う。
結局は和製○○じゃないか、とよくも悪くも思っているのだ。
歌謡曲がすぐ側にある文化のなかで、僕らは育ってきているのだ。聴かせる側も、聴く側も。もしかしたら、いまの若いリスナーは違うかもしれないが(オリジナルの、生粋の歌謡曲というものは、すでになくなっているように思う。多様化が進み、大衆音楽は死んだ、というわけだ)。でも、和製○○の音楽が当たり前だが溢れ、その遺伝子? を引き受けながら僕らは音楽に接しているわけだろう?
その点に自覚的か否か、が結構僕のなかでは大きいのだ。
「しょせん、和製であることから逃れられない。さて、そこでどういった戦略を立てるか」が観たいし、聴きたい。
B’zに話を戻す。
熱心なファンでない僕はこう思っている。
これまでの時期は大きく3つに分けられる。
第1期 エレポップ的時期(デビューから93年あたり、「裸足の女神」くらい)
第2期 松本氏のギターがブルース色を濃くだしている
第3期 いま、…あれ? 違うな。
ちょっと、待てよ。正直に告白すれば、この記事の結論として、「いまの、すなわち第3期のB’zが面白い」という結論を構想していたのだが、違うな。もう一度、変節があったように思う。
実は、先に書いたように、B’zのことをやや小馬鹿にしていた僕だが、これまでに数枚のシングルは購入している。最初に買ったのは、95年、「ねがい」のシングルだった。アレンジがよかった。いやよかった、なんてものじゃなかった。どちからといえばアンチであった僕に買わせた、それだけ、このシングルには何かがある。一応何かは判っていて、それは英国趣味だ。英国気取りといいかえてもいいだろう。ホーンも、ピアノも、上品でシニカル。歌詞とのマッチングもよい。
このとき、確かにB’zは変わっている。続けて2枚のシングルとアルバムをリリースしているが、(「love me,I love you」、「LOVE PHANTOM」。アルバムは『LOOSE』)確かにこのとき、変わっている。
そうはたと思い詰まって振り返ってみると、ブルース色が出ているのって、91年頃からなんだな、…。じゃあ、『RUN』でハードロック試してみて、手応えもセールスも大丈夫、とみて『7thブルース』へと続くんだろうか。だとしたら、ブルースという括りは誤りで、ハードロック、それもアメリカンという括りが正解なのかしら。
などと考えていると長くなってきたので、この項、事項へ続けます。
ただのファン(それも俄か)の戯言? そのとおり、それでいいやんか。
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