同人誌の2号が出来た。この日、受け渡し。
創刊号は06年の12月に原稿の締め切りがあり、それから合評→推敲を経て夏に発行。今回は07年の9月に締め切り、そこから合評→推敲を繰り返し2月に発行。
たとえばタイトルであったり、作品間を埋めるための融通の利くコラムを何にするかであったり、目次や奥付やフォームであったり、その他いろいろの遣り方。たとえばお金の払方や負担のバランスについて考えたりで、創刊号が出る際には、書くこと以外の作業がとても多い。
なので2号の方が出すのは楽、…かというとそんなこともなくって、創刊号のときはそういった雑務(?)といってもいいような作業が多くとも、本を出す、ということにまず夢中になり、情熱が背中を強い力で押す。2号以降になるとその面がやや薄れるのは否めない。
では2号がスムースに出るかというと、こちらもやはり実はそうでもない。
多くは、2号なり3号なりで停止するだろう。先に述べた情熱がまず薄れ、たとえ長い小説を誰かメンバーが1作書いたとしても、2作、3作と書き続けるには、よほどの小説への偏愛と執着、それにメンバー間で徒労と感じさせない親和感、もしくは小説への正当な視線が求められるからだ。書いた作品がきちんと読まれている、という手応え。それを互いに伝え合い、この人にまた読まれたい、と思えるかどうかも、同人誌スタート時期では大切なことだと思う。
それは同人を同人が小説読みとして、同じ執筆の仲間として信用出来るかどうか、という問題だ。
いままで何度か同人誌の立ち上げにかかわり、自分でも立ち上げしてきた。
いや、本当に続けるって難しい、…。
いまのメンバーは、多分、パーマネントでやっていけると思う。なにより、とても古くからの友人たち+最愛の人なのだ。まあ、大丈夫だろ。古くから、といっても大学時代からの友人2人は、もともとは映画をやっていた頃の友達で、センスのあれこれについても熟知しているし、僕のわがままについても理解してもらっていると思うし、くわえて、そういうのが正しいかどうかは判らないけれども、信用のある同士なのだ。それはぬるいということではない。最愛の恋人はこれまた小説が上手く書くパワーがなんというかいままで会ったなかでは尋常じゃないくらいに真摯で、そこがとても魅力的なのだ。この人に負けたくないっ、と思えるのは、その相手の力量を絶対的に信用しているからだよな。
その彼女と僕とが、安定感のある二人の友人に支えられて好き勝手やらしてもらっているサマは、めちゃめちゃスゴ腕のドラムとベースの二人に支えられ、ギターとヴォーカルが好き勝手やっているバンド、…という構図をいつも僕に想起させるのだが。
この日、そのベースと、ヴォーカルの彼女とギターの僕とで、出来上がってきた本の受け渡し+プチ打ち上げ。
梅田で飲みながら、結局はぜんぜん小説とは関係のない話も。
もちろん、小説の話も。
2号が出来てようやく滑走路を飛び出した印象がある。
それはさほど難しいことではなかった。コクピットを見渡したら乗務員が4人ともちゃんと揃っていたので、じゃあ離陸しようか、といった感じだった。実際には、僕が飛びたそうにうずうずしているのをみんなが理解してくれたのかも知れない。そう思って「飛んでみる?」と誰かが訊ねてくれて、実際に飛ぶ話になるといちばん乗り気だったのは彼女、…だったのかも知れないが、そんなことはもうどうだっていい。
次はどこまで高く飛べるか、だ。
創刊号を発行した頃には、同人誌受けなんか考えない、制約なし、ねらいもなし、で奔放に書く、と宣言していたのだが、実際にやり始めてみると、やはり第三者に高く評価されたいという欲求がむくむくと首をもたげてきた。公的な雑誌、新聞の書評で取り上げられたい、さらにその上を目指したい、という気分だ。それは悪いことではないだろう? 高いところを目指して飛ぼうとするのは、ひとつの狭い枠に閉じこもることではあるが、高みを目指すという点では、自分へのひとつの前向きな枷になる筈なんだ。
実は2号で書いた小説がかなり気にいっている。
同人誌をちゃんと扱ってくれる雑誌は少なくなった。いまとなっては『文学界』にだけか、しかしちゃんと送ってるぞ。まずはそこで取り上げられ名を上げることが目標だな。個人的には。
ポップで軽やかで多くの人に読まれる小説をどうせ書くなら書きたいと思っているので、偏狭な枠をはめる気はさらさらないが、そこで取り上げられたら励みにはなるやん。
もう何年も前のことになるが、そこで高い評価を得たことは自信にもなったし、その次へと進むための強いモチベーションにもなった。その栄光を、再びといわずまた何度も得ようと思う。
そうして自分たちの同人誌の知名度がなんとなく上がっていく、というのは、悪い気分じゃないぜ。
D.D.HOUSE側の炉辺っぽい店で頭付きのデカい蝦を食べ、ビールを飲み、カラオケにも行き、あれこれさんざん遊んで、結局小説の話は少しだけ。そういえば創刊号の打ち上げは京都でやったんだった。
書く作業は果てしなく孤独なひとりの行為だが、出来上がればまず仲間がいて、さらにその外側に多くの読者がいるんだな、…と思うと、何かとわくわくしてくる。
創刊号は06年の12月に原稿の締め切りがあり、それから合評→推敲を経て夏に発行。今回は07年の9月に締め切り、そこから合評→推敲を繰り返し2月に発行。
たとえばタイトルであったり、作品間を埋めるための融通の利くコラムを何にするかであったり、目次や奥付やフォームであったり、その他いろいろの遣り方。たとえばお金の払方や負担のバランスについて考えたりで、創刊号が出る際には、書くこと以外の作業がとても多い。
なので2号の方が出すのは楽、…かというとそんなこともなくって、創刊号のときはそういった雑務(?)といってもいいような作業が多くとも、本を出す、ということにまず夢中になり、情熱が背中を強い力で押す。2号以降になるとその面がやや薄れるのは否めない。
では2号がスムースに出るかというと、こちらもやはり実はそうでもない。
多くは、2号なり3号なりで停止するだろう。先に述べた情熱がまず薄れ、たとえ長い小説を誰かメンバーが1作書いたとしても、2作、3作と書き続けるには、よほどの小説への偏愛と執着、それにメンバー間で徒労と感じさせない親和感、もしくは小説への正当な視線が求められるからだ。書いた作品がきちんと読まれている、という手応え。それを互いに伝え合い、この人にまた読まれたい、と思えるかどうかも、同人誌スタート時期では大切なことだと思う。
それは同人を同人が小説読みとして、同じ執筆の仲間として信用出来るかどうか、という問題だ。
いままで何度か同人誌の立ち上げにかかわり、自分でも立ち上げしてきた。
いや、本当に続けるって難しい、…。
いまのメンバーは、多分、パーマネントでやっていけると思う。なにより、とても古くからの友人たち+最愛の人なのだ。まあ、大丈夫だろ。古くから、といっても大学時代からの友人2人は、もともとは映画をやっていた頃の友達で、センスのあれこれについても熟知しているし、僕のわがままについても理解してもらっていると思うし、くわえて、そういうのが正しいかどうかは判らないけれども、信用のある同士なのだ。それはぬるいということではない。最愛の恋人はこれまた小説が上手く書くパワーがなんというかいままで会ったなかでは尋常じゃないくらいに真摯で、そこがとても魅力的なのだ。この人に負けたくないっ、と思えるのは、その相手の力量を絶対的に信用しているからだよな。
その彼女と僕とが、安定感のある二人の友人に支えられて好き勝手やらしてもらっているサマは、めちゃめちゃスゴ腕のドラムとベースの二人に支えられ、ギターとヴォーカルが好き勝手やっているバンド、…という構図をいつも僕に想起させるのだが。
この日、そのベースと、ヴォーカルの彼女とギターの僕とで、出来上がってきた本の受け渡し+プチ打ち上げ。
梅田で飲みながら、結局はぜんぜん小説とは関係のない話も。
もちろん、小説の話も。
2号が出来てようやく滑走路を飛び出した印象がある。
それはさほど難しいことではなかった。コクピットを見渡したら乗務員が4人ともちゃんと揃っていたので、じゃあ離陸しようか、といった感じだった。実際には、僕が飛びたそうにうずうずしているのをみんなが理解してくれたのかも知れない。そう思って「飛んでみる?」と誰かが訊ねてくれて、実際に飛ぶ話になるといちばん乗り気だったのは彼女、…だったのかも知れないが、そんなことはもうどうだっていい。
次はどこまで高く飛べるか、だ。
創刊号を発行した頃には、同人誌受けなんか考えない、制約なし、ねらいもなし、で奔放に書く、と宣言していたのだが、実際にやり始めてみると、やはり第三者に高く評価されたいという欲求がむくむくと首をもたげてきた。公的な雑誌、新聞の書評で取り上げられたい、さらにその上を目指したい、という気分だ。それは悪いことではないだろう? 高いところを目指して飛ぼうとするのは、ひとつの狭い枠に閉じこもることではあるが、高みを目指すという点では、自分へのひとつの前向きな枷になる筈なんだ。
実は2号で書いた小説がかなり気にいっている。
同人誌をちゃんと扱ってくれる雑誌は少なくなった。いまとなっては『文学界』にだけか、しかしちゃんと送ってるぞ。まずはそこで取り上げられ名を上げることが目標だな。個人的には。
ポップで軽やかで多くの人に読まれる小説をどうせ書くなら書きたいと思っているので、偏狭な枠をはめる気はさらさらないが、そこで取り上げられたら励みにはなるやん。
もう何年も前のことになるが、そこで高い評価を得たことは自信にもなったし、その次へと進むための強いモチベーションにもなった。その栄光を、再びといわずまた何度も得ようと思う。
そうして自分たちの同人誌の知名度がなんとなく上がっていく、というのは、悪い気分じゃないぜ。
D.D.HOUSE側の炉辺っぽい店で頭付きのデカい蝦を食べ、ビールを飲み、カラオケにも行き、あれこれさんざん遊んで、結局小説の話は少しだけ。そういえば創刊号の打ち上げは京都でやったんだった。
書く作業は果てしなく孤独なひとりの行為だが、出来上がればまず仲間がいて、さらにその外側に多くの読者がいるんだな、…と思うと、何かとわくわくしてくる。
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