『ウェスト・ポイントの幽霊』(ティモシー・オニール/ハヤカワ文庫)を読んでいる。面白いのだが、結構な厚さでなかなか進まない。560ページ。筋書きはこんなの。
軍の兵舎に幽霊が出るという。若い兵士が何人か見ている。夢のなかに出てきて怪しげな唄を歌うという証言もある。心理学のカウンセリングでもあるサムとリーアムはその調査にあたる。幽霊は本当にいるのか?
アプローチの仕方がそこらの凡百なホラーと違う。心理学アリ、歴史学アリ、科学の粋を尽くした最新型の機材の導入もアリで、なるほど、この厚さにも頷ける。衒学趣味の引用も多い。まあ、それにはやや鼻白む印象も受けるが。
なにより、二人が本当に霊の存在を信じているのかいないかはっきりしないところがいい。
いない、とは断定しないが、今回のケースが本物か、というと疑わしい、というなんともリアルなスタンス。サムの方がやや懐疑的なのかな。いちばん乗り気なのはサムの妻でとても頭が切れて且つ行動的、可愛さたっぷりのマギーかも。登場人物たちが一癖も二癖もあって面白い。真夜中にこそっと少しずつ読んで、一ヶ月後に読了、達成感を得られるタイプの小説だな。まだ半分くらい。通勤途中の電車のなかで読む本ではないんだろう。
仕事柄、入試問題や模擬試験に出題される文章にはちょっとウルサイ。
昨年度、関西の入試では大阪の誇るトップ男子校ではリリー・フランキーの『東京タワー』が出題された。『一瞬の風になれ』を出した学校もある。「国家の品格」や「バカの壁」は昨年に引き続きといった印象だったが、「ひらめき脳」も今年は出た。
ここ数年、著作権についての問題も騒がしい。
入試問題への使用は認められているのだが、塾で教材にして使用するなんてのはもう不可能になっている。著作権保護の立場も作品に対して敬意を払い、なおかつ、特に貧乏人の多い詩壇への配慮は確かにされるべきであろうが、何人かの有名詩人は、自分がそこまで至るに当たって塾や教科書やといった教材がいかにファン開拓の一助どころではない手助けになっていたかを省みてほしいものだ。
…というグチは今記事の本旨ではないので割愛するが。
その影響ももちろんあるのだろう、さる模試で使用されていた文章がとてもよくって調べてみたら、下村湖人の『論語物語』だった。下村なんて『次郎物語』ぐらいしか知らなかったのだが、これがまたとてもいい。著作権は作者の死後50.5年だかそこらで無効になる。教育産業界では古典の復活も叫ばれているが理由はそういった世知辛い話。でも、僕も最近のお子様ランチじみた文章だけでは物足りない、もっと硬質な文章も読みたいと願っているクチだから、その傾向も歓迎である。
講談社学術文庫より刊行されていた。
翌日、探しにいって即購入。『ウェスト・ポイントの幽霊』という本命がありながらも浮気。
元ネタ、というか源泉は「論語」にあるので、登場人物は孔子とその弟子たちである。一話は文庫本数ページ。だいたいが彼らの気づかぬ落ち度や至らぬ点に孔子が的確でしかし暗喩の利いた示唆をする。それだけの話なのだが、…ううむ、と唸らされることしきり。
うぬぼれるわけでも鼻にかけるわけでもなくって、僕は整合性こそが重要だとずっと思っていたし、それを意識するようにつとめてきた(なので恋愛がときおり自分のなかの整合性を唾棄する瞬間に立ち会わされるとひどく疑ったものなのだが。自分を)。辻褄が合う論理こそが正義なのだと。
しかし、議論に強く言説に力のある弟子にむかって孔子が、
「正面から反対の出来ない道理で飾られた悪行というものがあることを知らなければならない」
と看破、叱責する場面には、ただただもう参りました、という感じ。
『ウェスト・ポイントの幽霊』は本屋で平積みされていてほぼ一目惚れ。手に取り、その厚さもさることながら値段に唸らされたよ。文庫で1000円かー、でも買ってしまった。多分、自分はこういう本を求めてたんじゃないかと思い。
その翌々日、結局同じ天王寺の本屋で『論語物語』を買ったのだけれど、こちらも、学術文庫だと知ったときから高いだろーなー、と思っていたらやはり、1000円。むむ、しかしどちらもその値打ちアリ。
ちなみにいま鞄のなかにはもう一冊、歌野晶午の『さらわれたい女』が入っていて、これは…読了しないままになるやも。すまん、歌野。
とにかく『論語物語』は買い、です。
軍の兵舎に幽霊が出るという。若い兵士が何人か見ている。夢のなかに出てきて怪しげな唄を歌うという証言もある。心理学のカウンセリングでもあるサムとリーアムはその調査にあたる。幽霊は本当にいるのか?
アプローチの仕方がそこらの凡百なホラーと違う。心理学アリ、歴史学アリ、科学の粋を尽くした最新型の機材の導入もアリで、なるほど、この厚さにも頷ける。衒学趣味の引用も多い。まあ、それにはやや鼻白む印象も受けるが。
なにより、二人が本当に霊の存在を信じているのかいないかはっきりしないところがいい。
いない、とは断定しないが、今回のケースが本物か、というと疑わしい、というなんともリアルなスタンス。サムの方がやや懐疑的なのかな。いちばん乗り気なのはサムの妻でとても頭が切れて且つ行動的、可愛さたっぷりのマギーかも。登場人物たちが一癖も二癖もあって面白い。真夜中にこそっと少しずつ読んで、一ヶ月後に読了、達成感を得られるタイプの小説だな。まだ半分くらい。通勤途中の電車のなかで読む本ではないんだろう。
仕事柄、入試問題や模擬試験に出題される文章にはちょっとウルサイ。
昨年度、関西の入試では大阪の誇るトップ男子校ではリリー・フランキーの『東京タワー』が出題された。『一瞬の風になれ』を出した学校もある。「国家の品格」や「バカの壁」は昨年に引き続きといった印象だったが、「ひらめき脳」も今年は出た。
ここ数年、著作権についての問題も騒がしい。
入試問題への使用は認められているのだが、塾で教材にして使用するなんてのはもう不可能になっている。著作権保護の立場も作品に対して敬意を払い、なおかつ、特に貧乏人の多い詩壇への配慮は確かにされるべきであろうが、何人かの有名詩人は、自分がそこまで至るに当たって塾や教科書やといった教材がいかにファン開拓の一助どころではない手助けになっていたかを省みてほしいものだ。
…というグチは今記事の本旨ではないので割愛するが。
その影響ももちろんあるのだろう、さる模試で使用されていた文章がとてもよくって調べてみたら、下村湖人の『論語物語』だった。下村なんて『次郎物語』ぐらいしか知らなかったのだが、これがまたとてもいい。著作権は作者の死後50.5年だかそこらで無効になる。教育産業界では古典の復活も叫ばれているが理由はそういった世知辛い話。でも、僕も最近のお子様ランチじみた文章だけでは物足りない、もっと硬質な文章も読みたいと願っているクチだから、その傾向も歓迎である。
講談社学術文庫より刊行されていた。
翌日、探しにいって即購入。『ウェスト・ポイントの幽霊』という本命がありながらも浮気。
元ネタ、というか源泉は「論語」にあるので、登場人物は孔子とその弟子たちである。一話は文庫本数ページ。だいたいが彼らの気づかぬ落ち度や至らぬ点に孔子が的確でしかし暗喩の利いた示唆をする。それだけの話なのだが、…ううむ、と唸らされることしきり。
うぬぼれるわけでも鼻にかけるわけでもなくって、僕は整合性こそが重要だとずっと思っていたし、それを意識するようにつとめてきた(なので恋愛がときおり自分のなかの整合性を唾棄する瞬間に立ち会わされるとひどく疑ったものなのだが。自分を)。辻褄が合う論理こそが正義なのだと。
しかし、議論に強く言説に力のある弟子にむかって孔子が、
「正面から反対の出来ない道理で飾られた悪行というものがあることを知らなければならない」
と看破、叱責する場面には、ただただもう参りました、という感じ。
『ウェスト・ポイントの幽霊』は本屋で平積みされていてほぼ一目惚れ。手に取り、その厚さもさることながら値段に唸らされたよ。文庫で1000円かー、でも買ってしまった。多分、自分はこういう本を求めてたんじゃないかと思い。
その翌々日、結局同じ天王寺の本屋で『論語物語』を買ったのだけれど、こちらも、学術文庫だと知ったときから高いだろーなー、と思っていたらやはり、1000円。むむ、しかしどちらもその値打ちアリ。
ちなみにいま鞄のなかにはもう一冊、歌野晶午の『さらわれたい女』が入っていて、これは…読了しないままになるやも。すまん、歌野。
とにかく『論語物語』は買い、です。
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