年末になるとその一年の総括をし、たとえば個人的なその年いちばんの事件を考え、ベストの映画を選び、…というようなことを無意識のうちでも毎年してきた。それから来年のキーワードみたいなものをぼんやりと考え(降ってくるのを受け止める、という表現の方が的確)、それなりに心意気をあらかたにしたりして。
今年はそんな感じが少しもない。年末らしさもほぼゼロだ。
年齢を重ねてしまって、期待や気構えが希薄になってきたのだろうか。
小学生の頃の大晦日とお正月ってむちゃくちゃ特別な一日だったものな。だんだんと薄れていったのは確かだ。この仕事を始めてから、そして生真面目に取り組むようになってからは、この時期が少しの区切りでもなく、おめでとうもあと一ヶ月(今年は20日ほど)はお預けだという感が強いから、なのかも。
世間的なイベントとして、でもせっかくの晦日がその色を薄めているのはちょっと哀しい。年末も年始も、気分として愉しみたい。
この日、最後の授業。
終えて地下鉄に乗り帰宅。乗り換え駅で電話を。小説についての話をする。来年、同人誌をやるのでその件。
年末らしさが希薄だったひとつには、それどころではなかった、ということがある。
この前日まで、仕事として次年度の準備作業をしつつ、私的には小説を書いていた。ひさびさに長いやつ。決めた締切が12月末だった。同人誌をやろう、という話になったのは秋口だったかしら。普段なら毎月、仲間とやっている投稿サイトで小説を書いているのだけれど、そこでは60枚程度(これにしたって毎月、60枚書いてる自分にも驚くし、多少は褒めてもやりたい気もするが)、100枚を越える小説ってもう一年以上書いていない。05年8月にさる同人誌に上げて以来だから1年と半年ほどになるのか。もう100枚を越える作品は書かないのかも知れない、と思っていた。それは自分のなかでの何かの終わりを意味しているのかもしれないなー、と思っていて、それはそれでいいか、と半ば諦観も混じって思ってもいた。
ある時期から、サイトで上げている小説を読んだ人から「長いの書きたいんじゃないの?」といわれるようになった。それが発端だと思う。
長い小説はwebでは発表しにくいと思う。紙の媒体に対する憧れや信用もある(アーティストが「やっぱりライブですよ」というのと似てない?)。プロへの道はまあ諦めちゃったわけだけど、同人誌というものが結局は好きなんだろう、一緒にやれると思える人が現われた。作品もよい、僕よりもブキッシュ、書くことへの執着も僕以上かも。なによりその人の文体はとてもナチュラルだったので、きっと無理なくやれると思った。無理をすると、一冊出したところで満足してしまったり、義務になってきたり(そうなると辛くなるまではすぐなのだ)、誤魔化したりするようになる。やる? とやや迂遠とも思われるいい方で僕はその人にいった。
それで来年、やることになった。
その小説を11月から、冬期講習に入ってもずっと書いていた。
小説を書き出すと日々の目的は鮮明になる。優先順位も見えてくる。いちばんは仕事のことで(特にこの時期は)、次が執筆。生活は省みなくなり、デートは、…してたね。まあそれはそれで。
06年の年末は小説ばかりだった、と思うと思う。後に振り返って。そういった記憶は最近なかったので、いつか書くことが辛くなったとき、あるいは何かにチャレンジしてめげそうになったとき、思い出すことで自分を鼓舞できると思う。
前に書いたけれども、ある夏、ある締切にむかって書いていた。間に合わない、と何度か思い、その度、机の前に貼った締切告知のチラシを見上げ「お前に書けないわけがないだろ?」と自分にむかっていい続けた。
結果、どうにか間に合い、その原稿は望む通りの扱いを受けるに至った。その作品の拙劣の度合いは記憶のなかではもう二の次で、その夏、弱音を吐きながらでも書いた、間に合わせた、ということが、いまの自分を支える矜持の一部分になっているのは確かだ。
ほら、書けただろ。
そう嘯き、
だから今度も書ける。
と自分にいい聞かせる。
書けなくなったら後退だと思う。偏愛が薄れてきているのだとも思う。そういったバインドを自分にかけてまでも、小説とはつきあっていきたい、という気持ちがまだあったことと、結果的にはそれをクリアできたこととが、この年末の手応えだった。それから今度の同人誌への、なんだろ、決意? 覚悟の自己表明? まあ、なんだっていいんだけれど、…思い入れかな。
それをそういった形でしか確認出来ないのか、という指摘は容赦してほしい。
地下鉄からJRへの乗り換えに使う地下街で、電話で話しながら、来る07年へのあれこれを思う。愉しみや計画は多い方がいい。今度の同人誌は、長い間、一緒にやりたかった古くからの素敵な友人も加わってくれることになっている。それも嬉しい。
前日の帰り道、その電話で話した同人誌用の自分の原稿を、その同じ乗り換え駅にあるスターバックスで推敲していた。隣に座っていた女の子がi-podで何かを聴きながら、何かを書いている。覗き込むまでもなく、それが年賀状であることは判った。大量の年賀状、印刷されたたくさんの亥を見て、ああ、来年の干支ってイノシシなんだなー、とぼんやり思った。その印刷された亥のわきに、女の子は手書きであれこれメッセージを入れているところだった。その文面までは見えないし、見てはいけないとも思う。ただ、その06年の年末、年が変わるという気分にさせてくれたのはその光景だけだった。なのでより鮮明にその姿を覚えているんだけど。
来年もよろしくお願します。
今年はそんな感じが少しもない。年末らしさもほぼゼロだ。
年齢を重ねてしまって、期待や気構えが希薄になってきたのだろうか。
小学生の頃の大晦日とお正月ってむちゃくちゃ特別な一日だったものな。だんだんと薄れていったのは確かだ。この仕事を始めてから、そして生真面目に取り組むようになってからは、この時期が少しの区切りでもなく、おめでとうもあと一ヶ月(今年は20日ほど)はお預けだという感が強いから、なのかも。
世間的なイベントとして、でもせっかくの晦日がその色を薄めているのはちょっと哀しい。年末も年始も、気分として愉しみたい。
この日、最後の授業。
終えて地下鉄に乗り帰宅。乗り換え駅で電話を。小説についての話をする。来年、同人誌をやるのでその件。
年末らしさが希薄だったひとつには、それどころではなかった、ということがある。
この前日まで、仕事として次年度の準備作業をしつつ、私的には小説を書いていた。ひさびさに長いやつ。決めた締切が12月末だった。同人誌をやろう、という話になったのは秋口だったかしら。普段なら毎月、仲間とやっている投稿サイトで小説を書いているのだけれど、そこでは60枚程度(これにしたって毎月、60枚書いてる自分にも驚くし、多少は褒めてもやりたい気もするが)、100枚を越える小説ってもう一年以上書いていない。05年8月にさる同人誌に上げて以来だから1年と半年ほどになるのか。もう100枚を越える作品は書かないのかも知れない、と思っていた。それは自分のなかでの何かの終わりを意味しているのかもしれないなー、と思っていて、それはそれでいいか、と半ば諦観も混じって思ってもいた。
ある時期から、サイトで上げている小説を読んだ人から「長いの書きたいんじゃないの?」といわれるようになった。それが発端だと思う。
長い小説はwebでは発表しにくいと思う。紙の媒体に対する憧れや信用もある(アーティストが「やっぱりライブですよ」というのと似てない?)。プロへの道はまあ諦めちゃったわけだけど、同人誌というものが結局は好きなんだろう、一緒にやれると思える人が現われた。作品もよい、僕よりもブキッシュ、書くことへの執着も僕以上かも。なによりその人の文体はとてもナチュラルだったので、きっと無理なくやれると思った。無理をすると、一冊出したところで満足してしまったり、義務になってきたり(そうなると辛くなるまではすぐなのだ)、誤魔化したりするようになる。やる? とやや迂遠とも思われるいい方で僕はその人にいった。
それで来年、やることになった。
その小説を11月から、冬期講習に入ってもずっと書いていた。
小説を書き出すと日々の目的は鮮明になる。優先順位も見えてくる。いちばんは仕事のことで(特にこの時期は)、次が執筆。生活は省みなくなり、デートは、…してたね。まあそれはそれで。
06年の年末は小説ばかりだった、と思うと思う。後に振り返って。そういった記憶は最近なかったので、いつか書くことが辛くなったとき、あるいは何かにチャレンジしてめげそうになったとき、思い出すことで自分を鼓舞できると思う。
前に書いたけれども、ある夏、ある締切にむかって書いていた。間に合わない、と何度か思い、その度、机の前に貼った締切告知のチラシを見上げ「お前に書けないわけがないだろ?」と自分にむかっていい続けた。
結果、どうにか間に合い、その原稿は望む通りの扱いを受けるに至った。その作品の拙劣の度合いは記憶のなかではもう二の次で、その夏、弱音を吐きながらでも書いた、間に合わせた、ということが、いまの自分を支える矜持の一部分になっているのは確かだ。
ほら、書けただろ。
そう嘯き、
だから今度も書ける。
と自分にいい聞かせる。
書けなくなったら後退だと思う。偏愛が薄れてきているのだとも思う。そういったバインドを自分にかけてまでも、小説とはつきあっていきたい、という気持ちがまだあったことと、結果的にはそれをクリアできたこととが、この年末の手応えだった。それから今度の同人誌への、なんだろ、決意? 覚悟の自己表明? まあ、なんだっていいんだけれど、…思い入れかな。
それをそういった形でしか確認出来ないのか、という指摘は容赦してほしい。
地下鉄からJRへの乗り換えに使う地下街で、電話で話しながら、来る07年へのあれこれを思う。愉しみや計画は多い方がいい。今度の同人誌は、長い間、一緒にやりたかった古くからの素敵な友人も加わってくれることになっている。それも嬉しい。
前日の帰り道、その電話で話した同人誌用の自分の原稿を、その同じ乗り換え駅にあるスターバックスで推敲していた。隣に座っていた女の子がi-podで何かを聴きながら、何かを書いている。覗き込むまでもなく、それが年賀状であることは判った。大量の年賀状、印刷されたたくさんの亥を見て、ああ、来年の干支ってイノシシなんだなー、とぼんやり思った。その印刷された亥のわきに、女の子は手書きであれこれメッセージを入れているところだった。その文面までは見えないし、見てはいけないとも思う。ただ、その06年の年末、年が変わるという気分にさせてくれたのはその光景だけだった。なのでより鮮明にその姿を覚えているんだけど。
来年もよろしくお願します。
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