いちばん近いところにあるのに、開けることの出来ない扉というのがあるとするなら、それは父親だ、といつの頃からか思っている。謎なのだ、その存在が。
顔もスタイルも母親似なのだが、内面は父親と似ていると思っている。実際のところは判らない。趣味的な部分でどうなのか、ひどく気になる。たとえば恋愛観なんかはどうなんだろう。端的にいって女性の好みなんか似てたりするんかな。
息子から見て父親はこれ以上なく堅物である。職業柄もあると思う。ロジカルで封建的なところは似ている(と思う)、気難しいところはもっと似ている(らしい)。たとえば眼鏡に弱いのか、とか、禁じられた愛についてどう思うか、とか、…ごにょごにょ。訊ねたいことは本当にたくさんあるが、多分、それを訊ねることはないだろう。そういうチャンスが巡ってくるとは思わないし、よしんば巡ってきたとしても。しても。
やんごとなき理由により、大阪で父親と会うことになった。
普段はしない話をいろいろして、一区切りついてところで互いの近況。近況といってもそのときに交わされる言葉は決まっている。
父親が僕に「小説、書いているのか」と訊ねるのと、僕から「最近、何を読んでるの」と問いかけるのと。
「最近はあの賞獲ったやつ」
「東野圭吾?」
「そうそう、それと、大沢…なんやったっけ」
「大沢在昌? 『新宿鮫』?」
「ああ、そう」
本当に毎回、驚かされるんだけれど、少ない帰省の機会や会ったときなんかに先の質問をすると、離れたところに住むこのブキッシュな親子は同じ作者の本にはまっていることが頻繁なのだった。確かに東野圭吾と大沢在昌じゃ売れっ子作家でかつブームでもあるから、それほど低い確率ではないけど。ただもうここのところ6、7年、そんな具合でセンスの共通性を痛く感じさせられる。実家に帰ったときなんかに父親の床机に置かれたカバーをかぶった本をこっそり開いてみて、驚かされることもしばしば。
似ているな、と思わされるのはそんなとき。
僕がクイーンや法月綸太朗に憧れるのは父親の職業柄もあるだろう。
いまでこそ天下ってはいるが父親は刑事だった。そして僕は小学校のときから作家志望なのだから、先の2者に重ね合わせるのも無理はないと自分でも思う。
「本読み」の道へ導いてくれた師匠でもあることだし。
小説と関わらなかった自分なんて想像出来ない。でも最初のきっかけまでは、それは萌芽としてあったかも知れないが、未開発で表面には出てきていない部分だった筈である。そのドアのノブに手を掛け開き、発露させたのは父親だ。芽が出てからもしばらくは、それは結構長い間だったのだけれど、水を遣り続けてもくれた。
小3の頃から視力が急落したせいもあって、僕は読書禁止を母親から命じられた。BookCrazyもCrazy、その執着ぶりは尋常ではなかった。
そのときにまるで密輸でもするかのように、秘密の運び屋のように、ご禁制の本を差し入れ続けてくれたのが父親。まあ、そんなご恩があるので。父親には。
顔もスタイルも母親似なのだが、内面は父親と似ていると思っている。実際のところは判らない。趣味的な部分でどうなのか、ひどく気になる。たとえば恋愛観なんかはどうなんだろう。端的にいって女性の好みなんか似てたりするんかな。
息子から見て父親はこれ以上なく堅物である。職業柄もあると思う。ロジカルで封建的なところは似ている(と思う)、気難しいところはもっと似ている(らしい)。たとえば眼鏡に弱いのか、とか、禁じられた愛についてどう思うか、とか、…ごにょごにょ。訊ねたいことは本当にたくさんあるが、多分、それを訊ねることはないだろう。そういうチャンスが巡ってくるとは思わないし、よしんば巡ってきたとしても。しても。
やんごとなき理由により、大阪で父親と会うことになった。
普段はしない話をいろいろして、一区切りついてところで互いの近況。近況といってもそのときに交わされる言葉は決まっている。
父親が僕に「小説、書いているのか」と訊ねるのと、僕から「最近、何を読んでるの」と問いかけるのと。
「最近はあの賞獲ったやつ」
「東野圭吾?」
「そうそう、それと、大沢…なんやったっけ」
「大沢在昌? 『新宿鮫』?」
「ああ、そう」
本当に毎回、驚かされるんだけれど、少ない帰省の機会や会ったときなんかに先の質問をすると、離れたところに住むこのブキッシュな親子は同じ作者の本にはまっていることが頻繁なのだった。確かに東野圭吾と大沢在昌じゃ売れっ子作家でかつブームでもあるから、それほど低い確率ではないけど。ただもうここのところ6、7年、そんな具合でセンスの共通性を痛く感じさせられる。実家に帰ったときなんかに父親の床机に置かれたカバーをかぶった本をこっそり開いてみて、驚かされることもしばしば。
似ているな、と思わされるのはそんなとき。
僕がクイーンや法月綸太朗に憧れるのは父親の職業柄もあるだろう。
いまでこそ天下ってはいるが父親は刑事だった。そして僕は小学校のときから作家志望なのだから、先の2者に重ね合わせるのも無理はないと自分でも思う。
「本読み」の道へ導いてくれた師匠でもあることだし。
小説と関わらなかった自分なんて想像出来ない。でも最初のきっかけまでは、それは萌芽としてあったかも知れないが、未開発で表面には出てきていない部分だった筈である。そのドアのノブに手を掛け開き、発露させたのは父親だ。芽が出てからもしばらくは、それは結構長い間だったのだけれど、水を遣り続けてもくれた。
小3の頃から視力が急落したせいもあって、僕は読書禁止を母親から命じられた。BookCrazyもCrazy、その執着ぶりは尋常ではなかった。
そのときにまるで密輸でもするかのように、秘密の運び屋のように、ご禁制の本を差し入れ続けてくれたのが父親。まあ、そんなご恩があるので。父親には。
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