毎月末のお約束である小説の締切が近い。
いまから1年と半年ほどまえに仲間と始めたのだ。毎月1作、webで小説を発表する。もともとの枚数規定は原稿用紙5枚から25枚程度、だったのだけれど、ここ1年ほどは50枚前後の作品を書き続けている。
ゲームのように軽い気持ちで始めた筈だったのだけれど、なかなか手強いハードルになってるなー。
その小説のことを、ここ数日、頭のなかで転がしていた。
プロットを作る。いきなり起承転結の輪郭を備えて表れてきたりはしない、部分がだんだんと集まってきて、ゆっくりと結晶化していく。
冒頭から始まることもあるにはあるが、大概はその一部分、印象的な設定、条件から生まれてくる。
「○○が××だったらどうだろう?」式に物語を作っていく。
木曜日だったか、会議が終わってお茶を飲んだあとの帰り道、電車のなかでぼんやりと浮かんできた。何かに触れた気がする。頭のなかで、伸ばした思考の先が。
それは小さいパズルのピースで、それを組みあわせていく。ぼんやりと絵が見えてくる。
部屋に帰って、そのぼんやりとした部分に過ぎない絵を、ラフスケッチしていく。こうだろか、こんな感じならその部分も引き立つだろうか、と考える。
金曜日の朝、いったん書き出す。ちょっと違う。思っている物語の全体が持っている匂いと、いざ書き出してみた文章の匂いとが違う気がする。そのまま書いていっても考えている通りの絵とならない。
土曜日、帰ってきて夜中、再び書き始める。少しだけ、全体像に沿った輪郭を手に入れられたような気がした。
そして今日。…こんなに長く机に座っていたのっていつ以来だっけ?
9時30分に起きてPCを起こし、書き出す。ひとりだったので、そのままずっと、たまにお茶を飲んだり、本を読んで頭をクールダウンさせたりしながら書く。本、といっても小説なんかではなく、いま読みかけの硬い本でもなく、頭のなかが軽くなるようなヤツ。『ドラえもん』とか(笑) 「さようなら、ドラえもん」でちょっと泣いた。
プロットを思いついたとき、以前に書いた小説のいくつかに似ているな、と思った。それでもいいか、と思って書き出した。骨組みや条件が似ていたとしても、テイストは違うものになるだろう、という自信はあった。そしてそうなっている。
この間、物書きの女の子に、「自信、持って書いてるでしょ」みたいな指摘をされたんだけれど(「オレってスゲぇ」みたいに思いながら書いてるんでしょ、といわれたのだ)半分は当たっている。薄氷を踏む思いで、見えないレールからはみ出さないように一文一文を捻り出しているが、ある沸点を越えるとオーバードライブがかかる。普段、考えたことのないような比喩や言い回しやが自分でも驚くほどスムースに紡ぎだされて来て、小説を作っていく。自信があるというよりは、そうなっているときの自分が好きなのだ。好きっていうことは自信があるということか、書いている自分を素敵だと思ってるんだものな。まあ、みんなそうじゃないの? でなければ他人様に読んでもらうなんて不遜な真似、よーしないわ。
いまから1年と半年ほどまえに仲間と始めたのだ。毎月1作、webで小説を発表する。もともとの枚数規定は原稿用紙5枚から25枚程度、だったのだけれど、ここ1年ほどは50枚前後の作品を書き続けている。
ゲームのように軽い気持ちで始めた筈だったのだけれど、なかなか手強いハードルになってるなー。
その小説のことを、ここ数日、頭のなかで転がしていた。
プロットを作る。いきなり起承転結の輪郭を備えて表れてきたりはしない、部分がだんだんと集まってきて、ゆっくりと結晶化していく。
冒頭から始まることもあるにはあるが、大概はその一部分、印象的な設定、条件から生まれてくる。
「○○が××だったらどうだろう?」式に物語を作っていく。
木曜日だったか、会議が終わってお茶を飲んだあとの帰り道、電車のなかでぼんやりと浮かんできた。何かに触れた気がする。頭のなかで、伸ばした思考の先が。
それは小さいパズルのピースで、それを組みあわせていく。ぼんやりと絵が見えてくる。
部屋に帰って、そのぼんやりとした部分に過ぎない絵を、ラフスケッチしていく。こうだろか、こんな感じならその部分も引き立つだろうか、と考える。
金曜日の朝、いったん書き出す。ちょっと違う。思っている物語の全体が持っている匂いと、いざ書き出してみた文章の匂いとが違う気がする。そのまま書いていっても考えている通りの絵とならない。
土曜日、帰ってきて夜中、再び書き始める。少しだけ、全体像に沿った輪郭を手に入れられたような気がした。
そして今日。…こんなに長く机に座っていたのっていつ以来だっけ?
9時30分に起きてPCを起こし、書き出す。ひとりだったので、そのままずっと、たまにお茶を飲んだり、本を読んで頭をクールダウンさせたりしながら書く。本、といっても小説なんかではなく、いま読みかけの硬い本でもなく、頭のなかが軽くなるようなヤツ。『ドラえもん』とか(笑) 「さようなら、ドラえもん」でちょっと泣いた。
プロットを思いついたとき、以前に書いた小説のいくつかに似ているな、と思った。それでもいいか、と思って書き出した。骨組みや条件が似ていたとしても、テイストは違うものになるだろう、という自信はあった。そしてそうなっている。
この間、物書きの女の子に、「自信、持って書いてるでしょ」みたいな指摘をされたんだけれど(「オレってスゲぇ」みたいに思いながら書いてるんでしょ、といわれたのだ)半分は当たっている。薄氷を踏む思いで、見えないレールからはみ出さないように一文一文を捻り出しているが、ある沸点を越えるとオーバードライブがかかる。普段、考えたことのないような比喩や言い回しやが自分でも驚くほどスムースに紡ぎだされて来て、小説を作っていく。自信があるというよりは、そうなっているときの自分が好きなのだ。好きっていうことは自信があるということか、書いている自分を素敵だと思ってるんだものな。まあ、みんなそうじゃないの? でなければ他人様に読んでもらうなんて不遜な真似、よーしないわ。
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